自生地近くの小学校など60館に「さらなる100年に向かって」を寄贈しました

桜区、南区、浦和区、中央区の全部の小学校と西区、緑区の一部そして桜区の公民館、一部の中学校に「さらなる100年に向かって」を 寄贈しました。
善前小学校
どこも親切な応対で親身に話を聞いてくれました。さすが小学校で生徒の話をよく聞く習慣が身についている事も感しました。
寄贈の名を借りていい加減な本を持ち込む輩も居るようで、色々面倒な事もあるような話がありましたが、趣旨をお話し、本を実際に見 たら、どこも快く受け取ってくれました。
素晴らしい校舎と校庭の学校もあればチョットくたびれた様な建物もあって同じ市立でもずいぶん差がある事も感じました。
1980年に開校したという善前小学校。校庭も広く建物も立派だった
色々な校舎もあったが意外と分かり易く訪問できました。

 さいたま市営霊園思い出の里にいってきました

25日に姉と女房と3人で義兄が眠るさいたま市営思い出の里に行って来た。
ソメイヨシノ
広大な敷地に7〜8分咲きの桜の花が新鮮な美しさだった。周囲の緑もやわらかで空気も澄んで素晴らしい環境だった。。
室内墓地
右は立派な建物で思い出の里のシンボル的な意味合いがあるとは思うが、中は3階の室内墓地でもったいなすぎると思う。

 青空が広がる好天に勇躍荒川河川敷に出かけました

桜も満開に近い3月27日、青葉園は彼岸に行って来たので今日は錦乃原櫻草園が折り返し地点だった。
アマナ
浦和ゴルフから堤防に上がると菜の花で黄色く染まった堤防が目に飛び込んできた。
塚本の耕作放棄地の一部がパラグライダーの発着所に開発されてしまった周囲を久し振りに歩いてみるとアマナがチラホラ花開いていた。
ノウルシ
少し先に行くとノウルシの群生地が開けたが、これも何時まであるか非常に不安だ。歩いてみるとノウルシが無い所にはエキサイゼリが 芽生えていたが花はまだ見られなかった。
ノウルシが花屋さんなどでは学名のユーフォルビアとして売られているのを初めて知った

 錦乃原櫻草園ではサクラソウが咲きチョウが吸蜜に大忙しでした

錦乃原櫻草園ではもうサクラソウがかなり花開いていました。
サクラソウ
でもここでもちょっと異変が起きていました。いつもは一番多く花を咲かせる中央の花壇が寂しく入口のブロックがより多くの花を つけていました。
これも一昨年の台風19号の冠水で拡散したと思われます。
サクラソウに蝶
暖かい陽気にチョウも活発にサクラソウをめぐって吸蜜に大忙しでした。
サクラソウ
サクラソウに蝶
有明の空が変化に富む事から名付けられた、白から赤みが強いものまで変化が多いアリアケスミレ。

 荒川左岸堤防が治水橋から羽根倉橋まで天端を走れるようになりました

来る時に今迄閉ざされていた羽根倉橋の荒川左岸堤防入口が解放されていたのを確認した。今までも結構天端を走ってきたがここが閉ま っているので途中で降りて大回りを余儀なくされていた事が解消と嬉しかった。
治水橋から入ってすぐに自転車道らしきに入る。健保グランドの辺りで土手の中腹の道から天端に上がる。
自転車道 中腹の自転車道はここまで
治水橋からしばらく走ると土手の中腹の自転車道になる 中腹の道は健保グラン語付近迄で、天端に上がる
広く開けた天端
自転車を押して天端に上がると真新しい舗装の広い道が直線的に広がった。周囲には何も遮るものが無く非常に気持ちがいい。
天端(てんば)とは建築用語で頂部の水平になった平面の事を言う。ダムや堤防では一番高い部分を指す。読みはてんば。
最初は四方を見回しながら広く開けた空間を楽しんでいた。
でも、この日は空は青く広がったものの風は北風が強かった。アゲインストなのだ。それも何処までもアゲインストでキリが無く遮るもの も無い。
仕舞いには音をあげて羽根倉橋の出口に着いた時はへとへとだった。でも走り終わった後は疲労感と共に爽快感も残った。

令和3年4月15日作成