排水門の全景が見渡せました
ほとんど無風に近い穏やかな日だったが何故か復路が僅かながらのアゲインストだった。
前回同様排水門の少し手前辺りから通行止めになっていたが、大久保2(塚本)の横堤辺りまでは取り敢えずの通行止めで排水門の全容がハッキリ見えた。

排水門の全容が見えました。これからは周囲の工事も進みこれだけ見えないと思います
「荒川第2調節池池内水路を守るため、護岸を整備しています」というタイトルの大きな看板があった。
大きな部分は前からあって今回は赤い「今回の施工」という部分のようだが巻止め、縦帯等聞きなれない単語で難しい。

ネットで見ると下記のような事のようだが、よくは分からない。
巻止め工. 低水護岸の天端工の外側に施工して,低水護岸が流水により裏側から侵食され. て破壊しないように保護する構造物
縦 帯 工:護岸ののり肩部の施工を容易にし、また護岸ののり肩部の破損を防ぐ
でもこの赤枠部分の比率は調節池の大部分を占めるらしいことは前回と今回の工事現場を見てはっきり認識した。
通常は4m幅で田んぼの水などを流し、排水時には40m〜70mの幅になる2段構造の巨大な池内水路らしきも見渡せ、2段構造の池内水路の法面に張るという連結ブロックが見られた。

サクラソウを守るにはどうしたらいいかとのメールを頂戴しました
1月31日に戸田の小学校の先生から「現在、総合的な学習の時間で私のクラス児童がサクラソウを守るためにできることについて調べ学習をしています。中略
「児童が作成したメールを送りたいのですがそれについてアドバイスいただくことは可能でしょうかとの事でした。

果たしてお役に立てるかとも思いましたが、嬉しい事ですのでできる事はしたいと思い返事しました。
戸田には知られていたサクラソウ自生地が3か所あったようです
@上戸田ッ原(戸田市南町)
A新曽ノ原(戸田市新曽南・氷川町)
上記の2ヵ所は昭和12年からの戸田ボートコースの開削工事で消滅。
B笹目ノ原(戸田市下笹目)
昭和20年〜22年第2次大戦による食糧難解消のために開墾
1971年には埼玉県花に指定され1972年には浦和の市花、1976年には戸田の市の花に指定されるなど保護が進み、2007年の環境省レッドリスト見直しによって保全のための努力がはらわれた結果絶滅危険度が下がったことにより絶滅危惧U類(VU)から準絶滅危惧(NT)に下がった経緯もあります。
ただし現在は、荒川のサクラソウはその存在を治水の名目によって脅かされている危機的状況なのが現状です。
荒川第二・三調節池工事が行われています
荒川第二・三調節池工事は通常では見えないところで行われていますが、確実に進んでいるので概要図は掲載していきます。
上記は荒川上流河川事務所のH.Pの荒川洪水調節池の整備より
令和7年2月8日作成