塚本の荒地の真ん中の木が切り倒され、周囲は耕運機で掘り返されていました

羽倉橋から自転車道迂回路に入り竹林を抜けて右手に開ける塚本地区の耕作放棄地に入って驚いた。
シンボル的存在だったクヌギが切り倒されていた。よく見ると辺り一面耕運機で耕されて何処に木が生えていたのかも分からなかった。
広く開けた塚本の荒地
中央あたりに切り倒して短く切った木材があるが、中央の段差が何処ら辺りだったかも不明なくらい変わっていた
2015年2月27日の荒地
左は昨年の2月27日に撮影した問題の木だが、昨年は野焼きができなかったにも拘わらず、かなり損傷度合いがはげしい。今年の 野焼きでまた焼かれた事は想像に難くない。
帰りには短く切ってあった木材を男たちが小型のクレーン車を使って運び出していた。
去年野焼きができなかった後、しばらくしてヨシを切り出して広い空地を作ったが、今回そこと繋がっていた。この辺一帯の荒地を 再開発するのだろうか。自然破壊に繋がるもので無い事を願う。この日は土曜の好天もあって自転車道は賑わっていた。

 錦乃原桜草園は田島ケ原より14年遅れで天然記念物hに指定されていました

サクラソウの芽生え
錦乃原桜草園は思ったより植物たちの成長が遅かったが、花壇にはさすが多くの サクラソウの芽生えが見られた。
サクラソウの花芽
一株だけ花芽をつけていた。矢印は拡大した花芽
いつもサクラソウやノウルシなど賑やかな真ん中のシマはアメリカスミレ サイシンの花らしきが一輪見られたが、ツクシが目立っていた。でも今頃のツクシはツクシン坊の凛とした可愛らしさはなく何となく胡散臭い感じだ。 霜害などを受けてボロボロになるのだろうか。
錦乃原桜草園の縁起を改めてみてみると、田島ケ原サクラソウ自生地と同じく、理学博士の三好学先生が、日本一のサクラソウ自生 地との折り紙をつけてくれたという。それにより昭和9年(1934)年に国の天然記念物に指定されたというから田島ケ原からは14年遅れの指定だ。
その後食糧増産で開墾され、昭和22年(1947)年錦乃原桜草園は姿を消し、サクラソウは有志の人達の自宅で育てられていたという。 その後復活の機運が盛り上がり、再度有志の人達が持ち寄って桜草園を復活させたが、一時全て開墾されてしまった事から再度の天然記念物指定は受けら れなかったようだ。

 タネツケバナかミチタネツケバナか同定に迷います

土屋田んぼで青く草の生えているのは何だろうと入ってみるとアブラナ科のタネツケバナが花をつけていた。
タネツケバナ
田んぼの中に生えていたので当然タネツケバナと思ったが、花期はミチタネツケバナの方が早く、花も小さいとあり、自信を無くし てしまった。
タネツケバナ
長角果が付いているとはっきりするが、今日見た限りではやはり在来のタネツケバナのような気がする。
在来のタネツケバナの方が花が大きくよく目立ち、ミチタネツケバナの花は小さく、花弁がやや乱れた感じに咲く。タネツケバナの茎に はびっしりと白い毛が生えるが、ミチタネツケバナはほとんど無毛で長角果は花より上に長く伸びる。タネツケバナが花盛りを迎える頃にはミチタネツケ バナは直立する果実ばかりが目立つようになっていて、両者の長角果とも手で触るとパチパチと音を発しながらはじけて種子を放出する。

 青葉園ではヒヨドリがパフォーマンスを見せ、田島ケ原は植生は豊かでした

ヒヨドリ
青葉園でお墓の掃除を始めた時にかなり前方でヒヨドリらしきが花びらをくわえたて振り回したりして遊んでいた。1分以上動画を 撮っていても、ずっとモデルになってくれた。
動画はズームを効かせていたのでかなり手振れがはげしく思ったほどの出来ではなかったが、9回目の祥月命日の墓参りでヒヨドリが パフォーマンスしてくれたのはいい記念になった。

錦乃原と比較しようと田島ケ原に足を延ばした。
お昼頃から風が出始め復路はアゲインストで、アップアップしながらようやく到着した。
サクラソウの芽生えは植えこんである錦乃原ほどではなく、花芽をつけているのはまだ見られなかったが、全体の植生の豊かさは やはり特別天然記念物と思わせた。
サクラソウとアマナ フキノトウとノウルシ
サクラソウとアマナ フキノトウとノウルシ、アマナ、ノカラマツも

平成28年2月29日作成