戦争の狂気に翻弄され数奇な運命を辿った老鐘

ウコン
友人から「光る澪」という実姉の詩集を頂いた。
テニアン島Uの副題があり、自分達を強制引き揚げさせた後、間もなく戦火に亡くなったお父さん、そして南の島で命を落とし た多くの人達への鎮魂の祈りを込めた2冊目の現代詩集。慰霊や遺骨収集の為に何回か訪れた慰霊団で見聞きした事や戦争にまつわる不条 理な事柄が幅広く綴られ平和への願いが込められている。
右は小石川植物園で咲いていたショウガ科のウコン。熱帯アジアの原産。20pくらいの大きな花序だが白いの は鱗状に重なった苞葉。苞葉の間からのぞいている黄色が本当の花

澪(みお)という言葉の意味も正確には知らなかった私だがページをくり始めると引き込まれて一気に読んでしまった。
平易な文体が大きなうねりの中で翻弄される人達の過酷な運命を切なく描き出している。戦争の不条理とむごさが淡々と語られ ている。大仰な形容詞がないだけに重く心に迫るものがある。「何々したの」「何々なの」という言葉が透明に響き、語尾の「の」 が何とも無力で哀切だ。

汎太平洋の鐘
その中に「梵鐘の旅」とそれに続く「老鐘」の詩があった。
サイパン島全滅後長らく消息が途絶えていた南洋寺の梵鐘が戦後20年を経てテキサス州で発見されたという。
1690年(元禄3年)鋳造のこの老鐘は小石川の浄土宗源覚寺から1937年(昭和12年)にサイパンの南洋寺に寄進されたという。
1965年(昭和40年)アメリカテキサス州在住の日本人女性からの手紙で行方が判明し、つぶされる寸前だった梵鐘は種々の経緯の 後1974年(昭和49年)に源覚寺に帰山した。
まるで元禄の昔から何事もなかったようですが・・・

慰霊像
浄土宗源覚寺は毎月のように行く小石川植物園の近くにあり「汎太平洋の鐘」と名づけられているこの鐘に会ってきた。
源覚寺は小石川七福神の一つ毘沙門天を祀ってあり、眼病平癒の「こんにゃくえんま」として有名で、えんま堂をはじめ塩地蔵 そして南洋群島協会の鎮魂と平和の願いをこめた慰霊像などがそう大きくはない境内に整然と建立されていた。

鐘楼はえんま堂の手前右手にあり、数奇な運命を辿った梵鐘はそんな過去などまったく忘れたかのように静かに佇んでいた。
アメリカに持って行かれたという事から梵鐘と言ってもひょっとしたら小さな鐘かと思った。でも実物は普通の大きさの立派な 梵鐘だった。
遠目には何の変哲もない普通の鐘に見えたが、よく見ると弾痕が無数にあり、刻まれた文字も一部は読み難い。

それにしてもこんな大きな鐘を誰がどんな目的で持って行ったのだろう。
将にこれは戦争の不条理そのものだ。金目の戦利品は何でもかんでもかっさらっていく。大きな梵鐘をもかすめ盗っていくその 心が戦争の狂気そのものだ。

この汎太平洋の鐘には「もう未来永劫源覚寺を動いてはいけないよ」と行く度に念押ししてこようと思う。

光る澪(みお)テニアン島U  著者 工藤恵美子 (株)編集工房ノア
平成22年9月17日作成