普段の水が少ない姿に戻った鴨川放水路

天気予報は曇り時々雨。それも所によっては激しい雨との事だった。途中で雨が降り出したが幸いにも間もなく止んで後は雨になる事は無かった。
7日に氾濫し8日にもかなりの水量だった鴨川放水路は底の方に茶色い水が流れる普段の姿に戻っていた。

アチコチに汚泥が残りネットには漂着物が

羽根倉橋からの荒川自転車道迂回路の氾濫していた小川は橋の左右とも大きく抉れていたが、流れは小さかった。竹やぶとの間の自転車道にはアチコチ汚泥が残りゴルフ場との境のネットは漂着物が絡み付き、傾いている所があった。4輪車止め手前の漂着物は思ったより長い距離に堆積していた。稲刈り時に短く切られた茎と枯れたヨシが半々で枯木や切り株そして雑多なゴミが混じっていた。でも、幸いにも乾燥していて自転車を降りれば無理なく通過できた。
冠水した橋の上を渦巻いていた濁流は勿論ひいていたが、低い鉄製の欄干はめくれ、コンクリート製の枠がむき出しになり、ゴルフ場側の左岸は大きく土砂が抉られていた。
その先のネットはずっと漂流物が絡まり、傾いたり薙ぎ倒されたりしていた。水田地帯との境のヨシやクズなどの大型雑草が繁茂する荒地がある右側はそれが障壁となり被害が少ないようだった。
通常の鴨川放水路 農道 抉れた左岸
氾濫した鴨川放水路 濁流の農道 橋が水没し渦巻く濁流
上は11日、下は7日の鴨川放水路 上は11日の元の農道、下は8日の濁流 上は11日抉られた岸、下は8日の濁流

水田地帯の自転車レーンは危惧したより残土が堆積していなかった

昭和の水田地帯のレーン道 泥田に咲いたアキノノゲシ
泥土の堆積が危惧したより少ないレーン道泥土に咲いた淡黄色の秋の野芥子の花
昭和の水田地帯の自転車レーン道は危惧したより泥土が堆積していなかった。水がひくときに一緒に汚泥も流れたのだろうか。途中アキノノゲシが花をつけ風に揺れていた。やっと水がひいて普段の景色に戻りつつある水田地帯、この泥の世界に秋の到来を感じさせ、ことの外可憐に見えた。

健保組合運動場と錦ヶ原ゴルフ場の間の従来からの自転車道は悲惨

従来からの自転車道入口 倒壊ネットが道を塞ぐ
ネットが根こそぎ倒れた従来からの河川敷自転車道入口支柱が倒れ通行不能の健保運動場北端の自転車道
健保組合運動場と錦ヶ原ゴルフ場との間の従来からの自転車道はかなり悲惨だった。ここは何も遮るものがない平坦地なので境のネットが唯一の障害物だったのだろう。総ての濁流、漂着物がネットにぶつかり絡まりついていた。車止めのある入口から北端まで傾いたり薙ぎ倒されているネットが多かった。そして、運動場から運ばれた汚泥がネット際に堆積していた。

前回の氾濫の体験を生かしていた治水橋北側の河川敷地域

ネットの下を巻き上げ支柱に絡まる漂着物
治水橋下から北側の野球グランドと大宮カントリークラブの一帯は平成11年8月13日の洪水の経験を生かしたのだろうか。自転車道とグランドの間のネットの下方を巻き上げてあった。これは前回の知恵の他の何ものでもないのだろう。多くの漂着物は支柱の所に残ってもネットを倒される被害は小さいようだった。そして11日には一部の野球グランドの漂着物が片付けられ、ゴルフ場は復旧作業をしていた。
災害はどうしても避けられないものなら、このように前回の経験を生かし被害を最小限に留める努力が必要だ

土屋の水田地帯の漂流物には様々なものが

西遊馬公園際の堤防上につながる自転車道に汚泥が残っていたが、この泥は泥除けに溜まってしまい始末が悪かった。
横提にはクズ、オオブタクサ、アレチウリ、イノコズチが茂り、アレチウリは多くの花をつけていた。 堤防上からは土屋の水田地帯の大きくカーブした所に大量の漂流物が見られた。この漂流物は昭和のそれより土砂や流木、粗大ゴミそして空き缶やプラスチック容器が多かった。この地帯は水田だけでなくグランドには多くの人が集まるからだろうか。

堤防には秋の草花が花をつけ始めています

治水橋から指扇寄りの堤防一帯にはコセンダングサが群生するが、今年はまだ少し早いようだった。ユウガギク、シロバナサクラタデも見られたが去年ほどの群生はなかった。一部大きな葉が白く冠水の跡を残した畑があったがあれではどうしようもなく気の毒だった。
昭和の水田地帯も漂着物の長い帯が残り、荒川総合運動公園では泥土の片付け作業が行なわれていた。
タンポポ アレチウリ コセンダングサ
後ろのグレーは倒れた支柱 横提にはびこり始めたアレチウリ これから堤防を黄色に染めます
シロバナサクラタデ ノハラアザミ キクイモ
白花桜蓼の群生地は漂流物の下です ノハラアザミが咲き始めました キクイモの群生も見られます

総てを覆い尽し大きな爪跡を残した台風9号の洪水

7日の未明に台風9号通過後、翌8日に荒川の洪水が引いて3日目、まだアチコチに氾濫の爪跡が残っていた。
下流の堤防を決壊させない為にこのような堤防内の地域を設けているのだろう。それ故この地域は氾濫があることもある程度覚悟し、治水橋の北側地域のように対策を講じなければいけないのだろう。
でもそれにしても洪水の力とは恐ろしい。総てを圧倒的な力で覆いつくし破壊し、急激に去って行く。昔から治水が重要な統治手段の一つだったというのが分かる気がした。
平成19年9月18日作成