治水橋はクラッシックな親柱を持つ優美な橋でした

親柱
10月27日はほとんど無風の絶好の秋日和の一日。11月11日のさいたま市立博物館での歴史講座の講義の前に、斎藤治水翁の記念碑や昼間 の渡しなどを見てびん沼公園にも行ってみたかった。そのために昭和水田から直接青葉園に行きお参りを済ませて昼食後、治水橋を渡った。
トラス
左はクラッシック調の優美な親柱。5つの球体は周辺の5自治体を表現した照明灯という。
上は橋の途中に設置されている照明。 治水橋の名称が旧橋のトラスを模した上に書かれている。
治水橋は何時も見ているのに渡るのは初めてだった。
1993年(平成5年)完成の長さ833.1メートルの橋は渡り終えるとすぐびん沼高架橋に繋がっていた。
下をのぞくとどんよりと流れが止まった土色の水面が見えた。倒れ込んだ木の枝に何処からかカワセミが飛んできて歓迎してくれた。

 斎藤治水翁の記念碑は少し大げさ過ぎる気がしました

飯田新田交差点
橋を渡って道なりに下って行くと間もなく大きく右にカーブする所に信号があり飯田新田歩道橋と書かれた跨線橋が見えた。
斎藤治水翁
よく見ると変則的な三叉路でその角に斎藤治水翁の碑があった。振り返る形で見るので最初はピンと来なかったが正面の石碑は3メートル はあり、立派な顕彰碑だった。
。しかしあまりに立派過ぎて彰功碑移設の経緯の文章は大時代的な匂いがする大げさなものだった。

 昼間の渡しはガッカリだったが、びん沼川の長閑さは別世界でした

昼間の渡し
昼間の渡しは道標がまるでなく、地図を見ながら方角だけを頼りに行ってみた。
どうやら行き着くと徳川家康云々の大きな石碑があったが、いわれを書いたものは見当たらず、昼間ノ渡シ記念堂の説明はアチコチ字が 消えて読めず、まったく不親切だった。由来の説明書きくらいはキチットしたものを置くべきだ。
写真の左側に見える徳川家康縁の地の碑が目印で、この先左奥に昼間の渡しの看板が見え、寂れた渡し場がある。
びん沼川では絶好の秋日和に多くの釣り人が釣り糸を垂れてのどかな風景が展開していた。川沿いの家から出てきた年配の方に川の名前 を聞いたが、はて何だったろうと困惑して以前の荒川じゃあないかなと小さな声でつぶやいた。
旧河道がこんなに残っているとは私にとっては驚きで、桜草公園付近の旧河道はどうなったのか?開発という名のもとにつぶしてしまっ たのだろうが実にもったいない限りだ。
長閑なびん沼川
この辺りが一番旧河道の雰囲気を残しているのだろうが、時間が止まったような長閑な景色

 帰路は右岸を走りいつもとは違った荒川を眺めました

びん沼自然公園にも行ってみたが、こちらは台風21号で水没した後だったので、冠水後の殺伐とした雰囲気で殆ど見るものは無く、ただ 走り抜けてしまった。
右岸より取水堰を望む"/
ノーザンカントリークラブ錦ヶ原ゴルフ場の所から荒川堤防に上がった。右岸堤防はほとんど来たことが無かったので色々新鮮だった。
右岸の河川敷特に飯田新田辺りの堤外地が左岸に比べて非常に狭い理由がハッキリ分かった。河道改修によって飯田新田が堤内地になっ たからで、飯田新田出身の斎藤祐美の我田引水の結果に他ならなかった。
羽根倉橋を過ぎて間もなく秋ヶ瀬取水堰を遠望して、秋ヶ瀬橋をいつもとは逆方向からサクラソウ自生地に向かった。

取水堰
秋ヶ瀬取水堰で東京都と埼玉県南部の上水道水を供給
この後立ち寄ったサクラソウ自生地もまだ台風21号の爪痕が残り、中央観察路などはまだ冠水状態だった。
昭和水田までのいつもの自転車道迂回路は23日の台風21号の後だったので各所に台風の余韻が残っていた。竹林の自転車道入口にはいま だ冠水のため通行止めの看板なども置いてあった。
平成30年1月8日作成