始まったばかりの守る会の現地活動は2日目から雨で中止でした

マンサク
田島ケ原サクラソウ自生地を守る会の現地活動は初日の3月25日だけが晴天だった
西南桜横断幕
26日は朝から小雨だったが、取り敢えず行ってみた。帰りにバスで県庁前まで戻ったら、裁判所前の小さな街路樹のマンサクが満開だっ た。街路樹にマンサクは珍しいと思ったが調べると結構あるようだ。
27日は2日続きの雨で取材は28日に延期した。雨が上がった夕方に西南桜通りに行ってみたがまだ花はまったく見られず、見物人も居な くて寂しく横断幕だけが揺れていた。

 河川敷の原野では外来種も希少種も競って若葉を伸ばしていました

28日は星井さんが出ていると聞いたので自生地に寄ってから、河川敷の原野にいってみた。
ここもノウルシが優勢だが、アメリカスミレサイシンが花をつけ、ヒロハハナヤスリが伸び出し、 シムラニンジンもスギナをスマートにしたような幼葉を広げていた。 オオブタクサもカナムグラも成葉が信じられないような可愛い双葉を出し、 ハナウドが半円形の塊を作りノカンゾウが集団で葉を伸ばしていた。
シムラニンジン ヒロハハナヤスリ
シムラニンジン ヒロハハナヤスリ
オオブタクサ&カナムグラ トウダイグサ
オオブタクサ&カナムグラ トウダイグサの刮ハはなめらか
堤防ではもうトウダイグサが実を付け、カントウタンポポの大株が大きな花を咲かせていた。

 荒川土手はセイヨウアブラナの黄色に覆われていました

セイヨウアブラナ
羽根倉橋近くの堤防はセイヨウアブラナの花に黄色く彩られていた。
茎を抱いている葉
モンシロチョウの交尾
セイヨウアブラナは明治初期にヨーロッパから移入される。葉が厚くて黒っぽく、茎とともに粉白を帯びる。葉の基部が茎を 抱くのが特徴。よく似たセイヨウカラシナは花がやや小さく、葉が茎を抱かない。
荒川運動公園や健保グランドの横堤もセイヨウアブラナの花で黄色く染まっていた。
久し振りに通った健保グランドの横堤は多くのモンシロチョウが飛び交っていた。本堤に近づくほど多かったが飛ぶのも早くナカナカ 止まってくれない。いい加減頭に来そうになった時に静止しているのを見つけた。
少しづつ近寄ってよく見ると何と交尾の真っ最中だった。
モンシロチョウが成虫として生きるのは約2週間でその間にオスは子孫を残すためにメスを追いかけるようだ。メスは一回交尾をすると 約600個の卵を産むという。メスの前翅の付け根が灰色なのが見分けのポイントだが、赤外線で見るとメスが白く見えるという。

 さいたま市博物館の歴史コースの講義には錦乃原櫻草園も取り上げます

ポスター
20日に来た時には10人くらいが来ていて打ち合わせ中だった。今日は当番の方がいるかと思ったが、常駐するのは4月1日〜23日でま だ誰もいなかった。
詰め所
案内所の中をのぞくと錦乃原櫻草フェスティバルのポスターが見えた。櫻草園まつりは4月8・9・10日のようだ。確か去年から早くなった と思うが、サクラソウの見頃に合わせたようだ。
サクラソウ
さいたま市博物館で歴史コースとして「さいたまの「名物」の歴史を学ぶ」という全6回の講座が開かれる。その第5回目の11月11日(土) に田島ケ原サクラソウ〜サクラソウの歴史と守る会の活動〜というテーマでお話する事になっている。
サクラソウ
2時間の講義だがその中に錦乃原櫻草園の話も入れたいので、10日に会長の都築康介さんにお会いして色々お聞きした。
天然記念物の指定を受けながら、食糧難の時代に全て田畑に開墾され、サクラソウは各自が持ち帰って育てていたものの、一時指定地が 無くなったので指定が取り消されてしまった。
その後旧間宮村の有志の尽力で1964年(昭和39年)保存会が結成されサクラソウを植えたものの盗掘にあって2年後には解散の憂き目に会 った。
その後かなりの時が過ぎ、1994年(平成6年)錦乃原櫻草保存会が再発足し間宮村の人達の熱意で現在に至っている。しかしながら寄付が 少なくなって資金面では厳しいようだ。
平成29年5月26日作成