突然、孤独死してしまった姉の家が廃墟のように見えました
先月突然孤独死してしまった姉の家に行ってきた。青葉園の近くなので27レポートの日のたびに寄らねばと思い、女房からも「お姉さんの所に寄って来たら」と言われながらついついほとんど寄らずじまいだった。今頃行っても遅いのは分かっていたが行かずにはいられなかった。
85歳で特に持病もなく元気で2階建ての一軒家に一人で住んでいた。行っていたスポーツセンターが閉館してしまったので新しい所に行っているがプールが前の所ほどでなく仲間も少なくなったようなことは言っていた。
新聞受けに新聞がたまっているのを近所の人が不審に思い民生委員に連絡して分かったようだが、死後一週間くらいは経っていたようだ。苦しまないで逝ってくれた事を祈るばかりだ。
会った時は本当にいつも元気で気づかいしてくれ、昔のまんまだった。それなのに義兄が亡くなって5年近くになるのに数えるほどしか寄っていない。後悔先に立たずとはこの事なのだろうが本当に申し訳なかった。
ひとり娘とあまり上手くいっていなかったようで晩年は淋しい人生だったと思う。それを知りながらほとんど行かなかった自分は本当に冷たいと今更ながら思う。
一人娘で姉夫婦も本当にかわいがっていた。姉も当然可愛がっていた。いつからおかしくなったのだろう。
姉夫婦はかかあ天下みたいなところがあって外見上はいつも姉が取り仕切っていた。小学校の校長先生だった義兄は温厚な人で、マメでお人好しですべて姉のいう事を受け入れていた。いい加減怒ってもよさそうな時も決して声を荒らげることもなく怒った顔もせずに笑って過ごしていた。すべて包容していた。姉もそれを分かっていて出過ぎても特に謝る素振りもなく、外見は好き勝手に振舞っていた。夫婦の阿吽の呼吸だったのかもしれない。
でも子供の娘にはただ母親の横暴にしか見えなかったのだろう。父親を可哀想だと思う気持ちが母親への憎しみに変わっていったようだ。
過ぎた事はともかく、自分の生き方を全うした姉は今頃、義兄のそばでまた例の如く色々しゃべり、義兄はうなずきながら笑顔で聞いているのではないかと思う。
7月27日は暑さを避けるために早朝に出発し、ルートも変わりました
7月の27レポート当日は暑さを避けて5時45分に家を出発した。
途中コンビニとATMによるつもりがシャッターが下りていてかなわず懐が淋しいまま青葉園に向かった。
錦乃原桜草園はヨシやオギが伸びて入っても仕方なかった。西遊馬の横堤から初めて堤防上の非舗装道を走って行くと
埼玉・東京を洪水から守りますという看板が立っていた。その中の断面図がより分かり易いので拡大してみた。
工事会社の看板も見られ第2調節池の地元へのアピールが感じられました
羽根倉橋の交差点から工事現場に降りるすぐの所に工事施工会社3社の名前をアピールする大きな看板が立てられていた。
飛島建設、戸田建設、西武建設株式会社の3社が共同施工している意味だろう
右側に「全力!建設DX」の文字があるがDXはデジタルトランスインファーメーションの略で、 デジタルテクノロジーを使用して、ビジネスプロセス・文化・顧客体験を新たに創造して、変わり続けるビジネスや市場の要求を満たすプロセスという意味(ウィキペディア)のようだ。
荒川第二・三調節池工事が行われています
荒川第二・三調節池工事は通常では見えないところで行われていますが、確実に進んでいるので概要図は掲載していきます。
上記は荒川上流河川事務所のH.Pの荒川洪水調節池の整備より
令和5年8月3日作成