義母はなによりおもてなしファーストの人でした
2016年12月27日は義母の葬儀の日だった。
90歳5ヶ月の義母がほとんど反応しなくなったとの知らせを受けて長崎に行ったのは12月22日だった。呼んでもわずかに
反応するかしない状態だった。白湯300tを日に2回と薬を点滴するだけで栄養は入れず、自然に体力が消耗するのを待つ状態だった。
26日午前3時前に心肺停止の知らせを受け、3時28分に臨終が告げられ旅立った。
26日午前3時前に心肺停止の知らせを受け、3時28分に臨終が告げられ旅立った。
義母の池田リキエさんは誰にでも好かれる明るい性格の方だった。おもてなしファーストの人でビールが好きと聞くと
朝にもお昼にも勧めてはばからなかった。そんな性格を義父は温かく包み込んで「べっぴんさん」と親しみを込めて呼んでいた。来客に喜ん
でもらうのが無上の喜びのような夫婦だった。
また、若き日の妻が就職の為に東京に出る直前に妹が急死した。その時「東京に行くのは止めようか」と義母に言った
ところ「生きてさえいればいつかは会えるから」と送り出してくれたという。この言葉があったからこそ知り合えた。大感謝だ。感謝を込め
てご冥福を祈りたい。
毎日病院に行っても意識も無いので女房を残して近くの海岸などを散歩して回った。多く目についたのは黄色い舌状花
のシマカンギク別名アブラギクだ。調べてみると「江戸時代に長崎では花を油に浸したものを油菊とよんで傷薬にした。九州などでは古くか
ら栽培されていて野生化したものも多い」とあった。
やはり長崎に多いヤブチョロギ。以前にも長崎で見つけてその姿形からヒメオトリコソウの変種と勘違いしていた。
これはシソ科イヌゴマ属のヨーロッパ原産の外来種で、戦後長崎県や和歌山県などで見つかっているという
石垣などに多く見られたツルソバはタデ科の暖地の海岸に生える多年草。マンテマは栽培種と思ったが江戸末期に渡来
した逸出帰化植物で本州中部以南の河川敷や海岸に見られるという。矢上大橋に近い海岸通りに花を咲かせていた。
シマカンギクは島寒菊で九州や本州の日本海側で海岸や島地に多く日当たりのいい所を好む。ヤブチョロギは藪長老喜の
字を当てているようだ。高さ10〜40pで萼が紫色を帯びる事が多い。マンテマはナデシコ科の越年草で花は1pくらいで赤い斑点がある。
12月30日は青空が大きく広がったものの北風が強い一日でした
中土手橋を上がった荒川左岸堤防より道場堤外地を望む
28日に帰ってきたが、何かと忙しく今月は30レポートになった。12月30日は空は青く晴れ渡っていたが風が強く往路は
アゲインストできつかった。でも久し振りにきれいな富士山が見られた。
錦乃原桜草園はきれいに除草されていた。防災ステーションはそれ程工事が進捗しているようには見えなかったが、
二ツ宮上築堤工事はかなり盛土部分が広がっていた。
三条町のいつも早くからスミレが見られる小さな南斜面に期待通り
ノジスミレが5〜6株花を付けていた。ここにはオオイヌノフグリや
ホトケノザも咲いていた。島根の田んぼにはカラスが大群を作っていたが
だんだん食べるものが少なくなっているのだろう。
道場5丁目の残土置き場は山が崩されすっかり平地に戻っていた。二ツ宮上築堤の盛土に使われたのだろうか。
平成29年1月7日作成